ネコノツメ編纂室

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中上健次著「十九歳の地図」 後篇

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・内容 8

・読みやすさ 7

・おもしろさ 6

*それぞれ、10点満点中の評価。

オススメ対象者:単調な日々に慣れてしまった方

 

 

 中上健次の性格は、それはもう、大層なものだった。

 どういった性格をしていたのかは単純に言葉で表現してしまうとツマラナイので、ちょっとばかり、おもしろいエピソードを箇条書き形式で紹介しよう。

・小説家の村上龍を公然と、屁みたいな男、蠅みたいにブンブン飛ぶだけの男、とこき下ろす。

・「大江(健三郎)を超えられるのは俺だけ」と柄谷行人との対談で豪語。

・もともと、悪酔いするタチで、酒場で酔っての喧嘩はよくあるが、最悪の場合、連れ立っていた編集者の頭をウイスキーの壜で殴りつけたりもした。

・酔った勢いで、先輩にあたる小説家、島尾敏雄(元特攻隊員。『死の棘』という作品で日本文学界で話題になり、さまざまな作家を唸らせたすごい方)に絡み、とにかくけなす。ふだん、穏やかな性格である島尾さんが激怒。島尾さんより、「なまいき言うな、ぶちのめしてやるから、ちょっと表へ出ろ」というありがたいお言葉を頂戴し、中上はビビって退散する。そのあと、なぜか一緒に対談している。

・大先輩で日本文学史にも名を残した、埴谷雄高(第一次戦後派を代表する、これまたすごい方。難解人間として知られる)に「おまえを殺してやる」と電話する。とても温厚な性格であるはずの埴谷雄高はこれに激昂。「おまえになんて殺されてたまるか!」と怒鳴られ、中上ビビる。

 基本、やさしくて穏やかな方を怒らせることが得意だったようである。文壇でも結構な問題児であったことはご覧の通りである。

 にしても、どうもこういったエピソードを思うと、傲慢で不遜、しかしどこか弱く繊細な心をもつ中上が、ドラえもんジャイアンとイメージが重なってしまう。実際、当たらずも遠からずというところか……。

 

蝸牛

 ヒモの話。

 といっても、「紐」ではない。自分はとくに働かず、女性に収益を頼って暮らしているほうの「ヒモ」である。これがなかなかに陰惨な物語なのである。

 主人公「ぼく」は、三十二歳子持ちの光子と同棲している。むろん、ふたりを結ぶものは肉体関係だけである。作中の言葉を借りると、「淫乱の関係」であり、かたつむりのようにねとついた関係である。光子の子供である輝明は幼稚園児。「ぼく」は彼の面倒をみることと、ヒステリック気味の光子の荒んだ心を癒すのが務めであった。だが、あくまで「ぼく」は情夫であり、それ以上でも以下でもない。やがて「ぼく」は光子にとっての情夫以上の「なにか」であろうとする。そこへ、あるとき、光子が泣き崩れ、「わたしがこんな辛い思いをしているのも、弟が首吊り自殺したのも、すべてあくどい兄のせいだ」と洩らす。そして立て続けに、輝明が「ぼく」の過失で目に怪我を負ってしまう。慌てない「ぼく」に対し、おろおろとし、輝明に母の情を示す光子。そして平静の「ぼく」に対し、所詮は他人だというふうに光子は言い放つ。この言葉を引き金に、たまらなくなった「ぼく」は光子のためになにかしようと、光子の兄の家へ包丁をもって押しかけるのであった。

 とにかく、終始ほの暗い情景がつきまとう内容である。主人公だけが常に疎外されている雰囲気がつづく。

 この作品は「だらだらと先を考えず、今このときが楽しめれば」という「ぼく」が徐々に置かれている状況の重圧に耐え切れなくなって行動を起こすというのが肝である。もちろん、あらすじを読めばわかるとおり、いい意味で行動を起こしているわけではない。だが、家に押しかけて兄と対峙する結末に、奇妙な爽快感を覚える読者は少なくないだろう。不透明な世界、どこか空回りする主人公。それでもなお、最後の主人公の台詞にはハッとする。どことなく、いまの社会にも反映できる話ではないだろうか。勤めだし、仕事に慣れてきた社会人にぜひ読んでほしい。

 

補陀落

 姉と「ぼく」の会話。

 あらすじの内容はこの一文でほぼ片付くといってもいい内容だ。

 しかし、この短篇こそ、本書『十九歳の地図』のラストにふさわしく、また、これを読まずして中上健次という物書きの真髄を知ることはできないだろう。むろん、この短篇は傑作でもなければ、秀作でもない。中上健次というひとりの男を知れる程度の作品である。しかしながら、中上作品の根底にあるものを直に触れられるのはこの作品以外にないように思う。

 姉と「ぼく」の会話は、主に中上が顔をみることもなかった「生みの父」の生涯や、中上の作品でたびたび登場する「首吊り自殺をする男(あるいは兄)」の生い立ちを主軸に語られている。「ぼく」はけだるい聞き手であり、姉がほぼこのふたりの男について、こまかく話している。

 一見、中上健次の波乱にみちた出生、生い立ちに関わる人物の紹介とも見て取れるが、それ以上に「血のつながり」というものを前面に押しだした作品に仕上がっている。これは、中上の奇異な生まれ育ちが大いに影響しているのはいうまでもない。「たとえ共に暮らさねど、血が繋がっていれば」という想いがひしひしと伝わってくる。

 しんみりと家族を想わせる小説は数多い。しみじみと家族のよろこびを噛み締めさせてくれる小説も同じだ。けれども、ここまで痛切に「家族」を欲し、ぶっきらぼうに《想う》小説があるだろうか。これは、読者に家族を「みせる」、「伝える」のではなく、読者の家族観に「訴えかける」作品なのではないかと考えている。

 

総評

 本書は、いつの間にか薄れてしまった《無邪気》、《情念》、《自己》、《家族》を、読者に改めて思い直させてくれる作品集である。日本刀のように精密で深刻、それでいて切れ味のよい文章は読者のこころにスッと入ってくること間違いナシだ。あまり読書しない方でも、深々と物語が胸に食い込んでいくことだろう。単調な日々に慣れ、自分をふり返ってみる機会を失ってしまった方はぜひ。ためらわずに、まずは一読を。