ネコノツメ編纂室

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マヌエル・プイグ著「蜘蛛女のキス」

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・内容 6

・読みやすさ 9

・おもしろさ 9

*それぞれ、10点満点中の評価。

オススメ対象者:小説ではない小説を読んでみたい方

 

 

  本書は、地の文が一切存在しない、主に台詞のみで構成されたユニークな小説。

 従来、台詞のみでの構成であれば、場面転換、風景描写、心情描写の欠如が目立ち、さらに延々と会話がつづくため、単調かつ物語の表面をなぞっているだけといった感覚を読者に与える。正直、つまらない。しかし、『蜘蛛女のキス』はこの欠点をすべて解消し、読者に独特な世界観と、濃密な感動を提供しうる唯一無二の素晴らしい作品に仕上がっている。ひとえに、この珍味は著者の類稀な感性を縦横無尽に駆使した超絶技巧からなったものだからであろう。

 著者マヌエル・プイグさんは、アルゼンチン出身の小説家。

 ラテンアメリカ文学に属する者である。ラテンアメリカ文学といえば、名だたる小説家たちが、土着文化をにじませたマジックリアリズム(現実に、ほんのすこし“不思議”のエッセンスをいれた小説技法のこと)作品を発表し、20世紀終わり21世紀はじめに注目をあびた。その奇抜な読味は世界のひとびとを魅了し、この文学界からノーベル賞が六人も出ている。

 マヌエル・プイグは、この文学界内でノーベル文学賞を受賞した、ガブリエル・ガルシア=マルケスオクタビオ・パスの間にはさまれた、「陰のすぐれた物書き」である。

 彼はほかのラテンアメリカ文学者とはちがい、マジックリアリズム手法は用いていない。ただ、小説としては変り種の作品が大半を占めており、本書もそうであるが、ほかの作品も会話や独白、手紙、レポートといった形式で物語を膨らませている。

 なぜ「小説」を書かないのか。それは彼が、挫折を経て小説家になった人間で、本来は映画監督か脚本家になろうと志していたからである。そのためか、小説しては変り種であるにもかかわらず、ストーリー構成力はバツグンで読者をぐいぐいと物語の世界に惹きこむ力がある。実際、かなりマニアックな映画好きだったらしく、来日したときは、小津安二郎と鳴瀬巳喜男のビデオを買い求めていたという。

 

 さて、前置きがやや長くなってしまったが、『蜘蛛女のキス』について触れていこう。

 本作品は長篇にあたるもので、全447ページからなる。

 物語の大半、というよりも終盤まで、ほとんどブエノスアイレスの刑務所内での話だ。

 主な登場人物はふたり。

 革命を志す政治犯の青年バレンティンと、中年の同性愛者モリーナ。

 なにを隠そう、この物語は“モリーナ”の恋愛物語である。俗にいうホモ小説だ。

 ホモ小説とみて、読む気を失ったひとはどうか本稿をすべて読んでから判断してほしい。たったそれだけのことで興味を失うのはあまりにもったいない。

 あくまで“モリーナ”の恋愛物語であって、“ふたり”の、ではないのだ。ここ、重要である。

 物語は、同じ房に入れられた、ノンケのバレンティンにホモのモリーナが映画の話をきかせるところからはじまる。

 流れは単純で、毎夜、ながらくモリーナによる映画の話がつづき、徐々にふたりは親しくなっていく。だが、中盤でモリーナがバレンティンに親しくするのには「とある理由」があることが明かされる。

 モリーナにはなによりも大事な母がいる。母は病気。自分が出所しなければ病におかされた母の面倒は誰がみるのか。そこで所長はモリーナに《餌》をちらつかせる。バレンティンの背後にある組織への糸口を掴むために情報をうまく引き出せ、成功したら仮釈放してやろう――。モリーナはこの言葉に従っていたのだ。

 だが、母への想いからスパイ行為を実行するも、親しくなるにつれ、バレンティンに恋愛感情を抱いてしまう。葛藤が生じ、ゆれはじめるモリーナ。

 所長室でのスパイ成果の報告。そしてバレンティンに「自由になったら」組織へ連絡してほしいとの頼み事。ふたつの間で悶々とし、煮え切らない態度を示すなか、突然の仮釈放。

 このときすでに所長は、情報を提供しないモリーナがバレンティンに気があることを見破っていた。釈放されたモリーナ。彼は「母」をとるのか、「バレンティン」をとるのか。

 あらすじを記すとこんな感じである。

 とにかく、あらすじだけではこの作品がもつ、凄まじさが伝わらないのがつらい。

 こまかく『蜘蛛女のキス』のよさを解説すると、まず「映画の話」である。

 はじめは実際にある映画のあらすじをモリーナが語っているのだが、次第に彼の心情を反映し、映画の内容が改変(映画では死ぬはずのヒロインが、モリーナの話だと死なないことになっていたり、など)され、最後には映画の話の結末と、モリーナとバレンティンの物語が重なっていく。これが自然に行われており、読者をさらなる感動へと導いている。

 つぎに、「胸の内の台詞」。太字になっており、ひたすら脈絡のない単語の羅列であるが、なんとなく背景がうかがえる内容になっており、より明確にバレンティンの心情がつかめるようになっている。

 そして、「原注」。これはなにも、その単語の説明ではなくてマヌエル・プイグさん本人による「同性愛論」である。つまり、物語をすすめつつ、その要所要所で、論文も掲載しているのである。

 わかりやすい特徴を記したが、さらに精細にみていけばいくほど、本書は台詞ひとつひとつにすら様々な工夫がなされ、より洗練された作品であることがわかるだろう。

 では前述に書いた

あくまで“モリーナ”の恋愛物語であって、“ふたり”の、ではないのだ。

  に焦点をあてよう。

 実はバレンティン、最後までモリーナに対してはっきりとした情をみせず、そればかりか、彼を組織のために利用しているような描写が多々見受けられるのだ。肉体関係に陥ったりしているものの、所詮はかりそめ。作中で所長にモリーナが語るようにバレンティンは「誰も信頼しない墓石のような男」として描かれている。そのため、モリーナは片想いのような状態で終わっていく。

 この「片想い」というのがまた、ラストのモリーナの行動、バレンティンの独白を一層際立たせている。涙なしでは読み進めることのできない珠玉の台詞のオンパレードからつづく怒涛のシメである。「片想い」のまま終わっていく、さらにそれを自覚しているモリーナの姿が泣けてくるほどに美しいのだ。(しかしながら、この物語のラストにあたるバレンティンの独白の《最後の一文》でモリーナの想いが一矢報いているか否かはそれぞれの読者の判断に委ねる)

 クライマックスに程近いモリーナとバレンティンの会話の一部分を抜粋する。

「機嫌よくここを出て行ってほしいな、そしておれのことをいい思い出にしてほしい、おれにとって、あんたのことが思い出になったみたいにね」

「あたしから教わったことって、なあに?」

「そいつを説明するのはえらくむずかしいよ。とにかく、あんたにはいろいろ考えさせられた、これは本当だ……」

「あなたの手、いつもあったかいのね、バレンティン

「あんたの手はいつでも冷たい」

「ひとつ約束するわ、バレンティン、……あなたのことを思い出すときはいつでも、楽しい気持ちでそうする、あなたに教わったように」

 

  これで本書の魅力をすべて伝えられたかどうか不安である。それほどまでに『蜘蛛女のキス』は奥深い。「地の文では語らない良さ」がある。

 映画化もされ、こちらも好評なので映画から入るのもよいだろう。